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プロローグ
その学園は荒れすさみ、人は名を聞いただけで顔を青ざめさせ、全身の肌を粟立たせた。
近寄るのはカラスと救急車、それと通学する生徒だけ。その生徒たちもおよそ中学生らしくない顔の生徒ばかりで、指定された制服より眉間の縦シワか無数のキズが皆の共通する制服のようなものだった。
大文字学園。
入り組んだ道をたどった丘の上、来る者を阻むかのようにそびえる現代の要塞ともいえるこの建物はれっきとした私立中学校である。
学園長も理事長も、ありきたりの過去に身を置いていなかったようで、厳しい規則で生徒を縛り付けることをしなかった。いわゆる放任主義というものか、とにかく寛大だった。それが功を奏したのかどうなのか、不思議と不祥事を起こす生徒は少なかった。多少ケンカは多かったが(いや、かなり多かったが)。
気が強い生徒が多く、どの体育会系のクラブも優秀な成果を持ちかえった。日頃の”実戦経験”を生かすことの出来る空手や柔道などの個人種目はもちろん、チームワークを必要とする競技も強かった。
ところが次第に生徒の質が変わってきた。中には暴力団関係と繋がりをもつ者もいたかもしれない。
生徒達が自らの戦いにおける唯一のルールでもあった「素手」でのケンカも、ただ相手を痛めつければよい、効率良く叩き潰せればという風潮になって野球部でもないのに金属バットを、拳法部でもないのにヌンチャクを、大工でもないのに角材を手に取った。ナイフを持つ者もいた。C・W・ニコルでもないのに。
教師は教師で、覚悟が足りなかった。しょせん3年、生徒によってはもう1,2年。ただ卒業を待つ日々。もしくは自身の転勤を。
被害が及ばないようにと教師はみな、背を丸めて歩いた。
ひとりだけ胸をはって歩いた。英語教師であり、学園長の息子でもある白いスーツの似合う若い男だった。
彼が行ったのはうまく権力をつかって力のある生徒を取り込むことだった。恩恵を受ける形になった柔道部は他より余計に部費をもらい、公認の自警団として我が物顔で学園を仕切り出した。そしてそれが他生徒たちの不満を生み、静かに静かに、有毒なガスが人知れず漏れ出しているように、一触即発の緊張状態が出来あがっていた。
そんな空気のまま迎えた翌年の四月、巴男吾は入学した。
学園に充満していたガスは男吾という熱風に吹き飛ばされた。男吾は大文字学園を一変させてしまった。荒っぽさはそのままに、冷めた空気だけを沸騰させたのだ。そうはいってもそうしようとしてそうなったわけではない。不細工に突っ走るその後を皆がつられる様に走ったのだ。走り方を思い出させたのだ。
それで学園が「良い子」になったわけではないが、どこか一目置かれるような、自分を磨くための厳しい修行の場のようになっていった。
そして、燃えるような男吾たちも卒業して、五年が過ぎた。
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1
鼻の上にキズがある男がか弱い女の子をどなりつけている、ように見える。
男のキズは横に一直線を描き、かつての大事故か大惨事を想像させる。だがそれは事故などで負ったキズではない。
ケンカだ。
どのくらいの腕か、は必要以上に眼力のある白目がちな両目で計り知れるだろう。そんな男に正面から睨みつけられ、なにやら言われているとなると「恐喝か脅しか」などと心配してしまいそうだが、女の子は時折笑顔を見せる。それも微笑などではない。その場にいるどんな音よりもボリュームが大きい。
夏が過ぎ、ふたたび生徒たちの笑い声が聞こえてくるようになった賑やかな大学の食堂。ここ帝拳大学はどちらかというと体育会系の大学である。自然と皆の話声は大きいのだが、円谷操の笑い声はひときわ大きくひときわ通る心地いい音色だった。大学内のほとんどの人間は操のことをよく知っているが声がデカいからというわけではなく、二年連続で空手の全日本大会で優勝しているからである。いや、その記録がなかったとしても知り合いが多かっただろう。なにしろ親しみやすく誰とでも友達になりたがる性格だった。
「河内くん、来れるって!昨日”部屋”に電話しておかみさんに聞いたんだけど、後援会の食事会もたまには休んだほうがいいからって」
その操とここ最近毎日のように会いに来て、親しげに話すあいつは誰だ。陰ながら操に好意を寄せる男たちの視線を浴びつつも、平然としているただならぬ雰囲気の男。帝拳大の生徒ではなさそうだ。垢抜けた感じがある。白い歯を見せてニカッと笑う。
「あいつ、優勝した後だから毎日のようにあっちこっち連れていかれてるんだろうな」
「TVにもいっぱい出るようになったしね」
「オレも乱と連絡とれたぜ。なんとか来れるみたいだ。舞に聞いたんだけど、婦警ってのはあれで忙しいんだってな。ヒマ潰しで駐車違反取り締まってるだけみたいなのに」
「そのかわり、舞はずいぶん遊んでるって聞くけどね。アハハ」
「そういえば男連れてライブに来たこともあったなぁ。お前も見ただろ?あん時よぉ・・・」
女生徒の中には男の名を知っているものもいる。
「ウソ!サンドマンズのベーシストの不破じゃない」「ホントだ・・・でもなんで操ちゃんと仲良さそうにしてんの?」
不破源次郎は高校途中でバンドを始め、すぐにバンド優先のため高校を中退した。力強くはじけるように動く指さばきと野性的なステージアクトはすぐに評判になり、いくつかのバンドから誘われたあげく現在のバンドに落ちついた。他にギター&ボーカルとドラムスがいるだけのシンプルな3ピースバンド・サンドマンズ。他の二人もプロのレコーディングを手伝うほどの腕前をしている。不破の創った新曲も好評なサンドマンズは来月のライブでデビューをファンに発表しようと計画していた。
しかし今はそれよりも大事なことを計画している。不破と操が幹事役だ。とはいえ誰かが指名したわけではない。自然と、いやいつのまにか、なにかあると仲間は二人に任せておくようになっていた。他の誰に頼むより二人に任せておくほうが。そんなふうになっていた。とくに今回は二人に任せたい。
学園台風と呼ばれた男の、刑務所の出所を祝う会のことは。
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2
学園台風。北島剛は大文字学園を卒業した後、いくつか職を転々としていた。仕事内容に関しては問題はなかったが、人付き合いはどこへ行ってもうまくいかなかった。
そんな台風を心配した大文字時代の教師・荒巻は知り合いの工務店を紹介してくれた。在学中からも人一倍台風を心配してくれたのは荒巻だった。卒業できたのも荒巻と、カオリ先生のおかげのようなものだ。卒業してからだって半分居候のように世話になった。しょっちゅうケンカだってしたけれど、ウソのない荒巻の言葉は大人に対して閉ざしがちだった台風の気持ちをすこしづつ変えさせ、工務店での仕事も順調だった。アルバイトとして使ってもらっていたけれど、正式に就職もどうかという話もあった。いつしか台風と荒巻とは兄弟のように、いやそれ以上の信頼関係で結ばれた。そんな風だったので、荒巻とカオリ先生のごくささやかな結婚式の披露宴ではガラにもなく感激し、すでに成人していた台風はびっくりするくらいの量の酒を飲み、その量よりさらに余計に涙を流した。
新婚の二人を邪魔してはいけないと台風は思った。そうでなくても結婚前の時間を充分邪魔してしまっていたようだった。今はそういうことも気がつく。少しづつ荷物を整理してなるべく早くアパートを見つけよう。でもある程度金が貯まったら、引越し資金にするよりも新婚旅行に行かなかった二人に温泉旅行でもプレゼントしてやろう。そんなことも考えていた。自然に台風は自分の家族も大切にするような男になっていた。
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3
朝、数紙の新聞を読むことは奥田財閥の社長である彼の日課のひとつだった。
そこでよく知った名前を思いがけない記事の中で発見して娘を呼んだ。
「姫子!姫子ー!」
奥田は二階にある娘の部屋のほうではなく、隣の家の台所に聞こえるように声を掛けた。
「はーい、お父さまーっ!」元気よく返事をして、姫子が木製のサンダルをカランカランと鳴らして駆けてくるのが聞こえる。長い髪を後ろでまとめた姫子が、奥田家の長い廊下を息を切らすこともなく走って奥田の前までやってくる。思えば小さい頃、この街に来るまではずいぶんおしとやかな娘だったものだが、こうやって活き活きしてるほうがいい。
「今日はなにを作ってたんだい?」
「お大根のお味噌汁よ。知子さんが好きなんですって」
「それはいい。わたしも大好物なんだ。いつか作ってもらいたいね」
「たくさん作ったから分けてもらってこようかしら・・・でもあれでも足りないくらいかな。ウフフ」
姫子は毎日早起きし、大学に向かうまでの空いた時間で巴家の朝食作りの手伝いをしていた。大飯食らいの巴家の食事作りは安子と二人がかりでやっても大変だったが、その代わりに料理を教えてもらっていた。
「それでお父さま、なにかご用?」
「これ見なさい。ビックリしたよ・・・姫子は知っていたのかね」
そう言われて指差された新聞の記事には、姫子が誰以上に知っている顔が楕円球を抱えて走っている写真が載っていた。
『イギリスのプロラグビーリーグに日本人選手鮮烈デビュー!名前はダンゴトモエ』
もう何年も男吾くんはいろんな国に行ったり、いろんなことをやっている。その度に手紙を貰って、ある程度はわかっているつもりでも、時々こうやってビックリさせられる。きっとまた困った人を助けようとしたのかしら、なんて元気そうな男吾の姿をすぐに想像できて姫子は噴き出してしまう。新聞の写真写りはよくないけれど、今すぐにでも飛び出してきそうな姿を奥田も嬉しそうに見つめた。
「・・・男吾くんは元気そうだね。心配するまでもなく」
「はい」
姫子は毎日元気に大学生活を送っているが、小学生が書いたようなおかしな文字で綴られた手紙を貰ったらもっと元気になる。今どき電話やなんかではなく、手紙というのが男吾くんらしい。たまにフラリと帰ってきてもゆっくりしていかないのも男吾くんらしいのだが、もうすこし姫子との時間を作ってくれてもいいじゃないかなんて、父親らしからぬ心配もしてしまう。父親なら娘にはいつまでも、どこにも行かないでくれと思うのだろうに、そう思う気持ち以上に娘が妻となり母となった姿を早く見てみたい。毎日とびっきりの笑顔でいられる相手と時間を過ごして欲しい。最近はよくそんなことを考えるようになった。わたしもそろそろおじいちゃんの仲間入りするような年代になったのかな、なんて苦笑いしながら奥田は姫子を喜ばせようと、他紙の記事を探そうとした。
しかしもうひとつ、今度はよく知るとまではいかなくとも何度か聞いた覚えのある名前をいくつか含んだ記事を見つけてしまった。たしか男吾くんの中学時代の仲間。変わったアダ名で呼ばれていた青年。
「姫子・・・」
その記事は、北島剛が殺人未遂を起こしたことを報道していた。もう21歳になっていた台風の顔写真もまた、飛び出してきそうな顔をしていた。
味噌汁の、いい匂いがしていた朝のことだった。
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4
豆田陣八か・・・ケンカは弱いよ。あいつ負けても気が強いもんで負けたって認めないんだけど、自分でもそう強くはないっての自覚してるんじゃないかなぁ。
大文字学園といえば昔からすげぇ強い先輩がたくさんいたけど、陣八のひとつ上の学年ってのはやたら強いのが多かったらしいよ。その全員と手合わせしたのかどうかは知らないけど、陣八も自分より上かどうかってのはすぐわかったらしい。その先輩たちが先に卒業して、残された陣八はアセっただろうなぁ〜「あの先輩たちの仲間とはいえしょせん、”豆八”だから」って言われてるような気がして。
陣八はいつも学帽被ってるけど、アレは巴って先輩に卒業するとき無理言って貰ったものなんだって。初心忘れるべからず、みたいな意味で。それ被っていつもケンカしてたけど、身体中ボロボロよ。キズだらけ。そのかわりすこしづつだけど身体は大きくなったよ。例えたら麦、だったっけ。踏まれて強くなるっての。そんな感じよ。すこ〜しづつすこ〜しづつだけど、強くなったよ。でも仲間が増えるのはあっという間だったね。そりゃ誰よりも体を張ってるんだもん、あの姿に惹かれない大文字の男なんていねぇんだろうよ。
陣八も気付かないうちに、大文字学園がひとつにまとまってたからね。あの大文字学園だよ、あぶれ者ばっかりが集められたあの大文字学園が、だよ。その中心にいるのが誰あろう豆田陣八だったんだよ。
高校に進学したらさらに輪が広がってね。そりゃ敵も増えたけど、気がついたらそいつらも仲間になってたりして。そうなるともう誰も陣八を弱いとかどうとか、思わなくなってたね。それは気持ち悪いような不思議な気持ちだったね。オレのほうが強いだろう。でも陣八とは上下関係とか、ましてや敵対関係になりたくない。仲間でいたいんだ、って。オレ?オレもそう感じたよ。もちろん。
陣八の大文字学園の後輩にやたらと荒巻と衝突するたかしという奴がいて、何度か陣八は「荒巻の言うことは聞いておいても悪くないぜ」と言ったが、それでも衝突しつづけた。他の教師とは問題を起こさないのに、だ。荒巻は他の教師よりもわかってくれる教師だった。だから陣八も好きだった。なのに何故、たかしはよりによって荒巻にだけ反発するのか。
数日後、陣八が心配していたたかしのことで連絡が入った。
「陣八さん・・・たかしが――」
電話の向こうで連絡をするその声がこわばっている。
「――階段から突き落とされました・・・」
「なに!?それで・・・たかしは!?」
「はい、幸い命には別状ないんですけどあちこち骨折してまして」
「・・・そうか・・・」
怒りがどんどん大きくなっていくのがわかる。
「アゴの骨折がいちばんひどくて喋れないんですけど」
「じゃあやった相手はわかんねーのか」
「いや、相手は逃げなかったみたいなんで・・・すぐパクられて・・・」
「誰だ」
「・・・・・」
じらすことで陣八の怒りにますます火を注いでしまうのが怖い。でも、この名前は・・・。
「誰だ」
静かに問いただす声からは押さえきれない怒りが漏れ出しているのがわかる。テレフォンカードの残りも少ない。
「・・・オレの知っている奴なのか」
「ハイ・・・」
陣八は何人かの顔を思いうかべた。しかしそのどれでもない、今では暴力とかと縁遠いはずの相手だった。
「・・・・北島剛・・・学園台風さんです」
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5
高台にある団地から伸びる階段の上で二人の男が胸ぐらをつかみ合っている。すぐに通報が入って近所の交番から警官がひとり、自転車でやってくる。
「こら、ケンカやめんかー」
すぐに逃げ出してくれれば、交番に帰ることができる。軽く思っていた。背の高いほうの男と目が合った。ホッとした表情になったかと思うと、背の高い男はもうひとりのちっぽけな男(子供と言ったほうが簡単だ)を、思いっきり殴った。大きな拳がその子供のアゴにめり込んで、その途端、軽そうな体が大きく宙に舞った。落ちたところは階段で、子供は転がって階段を降りた。
あっという間の出来事。
警官は男を追いかけなかった。子供が心配だったから。男が怖かったから。どちらでもある。それより、追いかける必要がなかった。
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6
警察に大学時代の知り合いがいる鬼塚から、不破たちが聞いたことはこうだ。
『荒巻がたかしという生徒と話し合おうと自宅に呼びつけた。日頃から荒巻に世話になっている台風は反抗するたかしのことをよく思っておらず、その場に乗り込んできてたかしを連れ出した。人気のない場所で一方的に殴りつけたあげく、団地横の階段から突き落とした』、と。
たしかに台風は多少荒っぽい奴ではあるけれど、そんなことをするような奴ではないと信じている。それは不破や操たちだけではない。男吾の家で会ったのが縁で仲良くなったケンジやヒデキたちも、台風がただの粗暴な大男ではないと知っている。
ではなぜ。それは台風自身も話さなかった。黙秘権の行使なんて知的なものではなく、ただもう誰と話すのも嫌だったようで、無理に話をさせようとした何人もの警官や取り調べ官が怪我をした。だから罪状の大方は公務執行妨害で、裁判の席でもいたずらに裁判官の機嫌を損ねた真似をしてしまった。
台風はただちに刑務所へ向かうことになった。
他の受刑者に比べたら罪は軽いものの、しょっちゅう誰かが面会にやってきていた。不破と操だったり、乱と舞だったり、玉美やトン子たちだったり、二の宮と林だったり。皆で「あんまり来て欲しくないかもしれないから、面会は控えよう」と言い合っていたのに、なんだかんだと理由をつけては足を運ぼうとした。
しかし結局、実際に面会できたのは不破だけだった。それもほんの1分ほど。その日、操は実家のアスレチックジムで空手セミナーを行わなければならなかったので不破一人だった。
不破は台風と話すときだけは自然と昔のような口調になっていた。
「よう。・・・・ずいぶんクラい顔になったズラな」
「・・・・おヌシ、こんなとこに来てていいのか」
「お前ェが心配してくれるようなことじゃねぇズラ」
面会といっても、不破に話すことはなかった。
「・・・・・」
台風にだって話すことはなかった。なにを話したところで、誰が得するわけでも損するわけでもない。ここに自分がいることだって、気がついたらここにいた、それぐらいのものなのだ。実際に。
「・・・・・」
監察官が心配するほど、沈黙が続く。目と目で会話するわけでもない。お互いあさってのほうを向いている。
台風が席を立つ。不破もほとんど同時に立ち上がる。
「・・・・じゃあな。出たらメシでも。・・・・おごってやるズラ」
最初は二人で一杯飲んで、じゃあこれからは真面目にやれよぐらい言うつもりだったのだが、操にちょっとだけ話すとすぐに仲間に話が伝わってしまった。こうなったら台風は嫌がるだろうけど盛大にお祝いしてやるか。そういうのが照れくさいんだったら同窓会だと思えばいい。もう何が原因だったのか、どうだっていい。また一緒にバカ騒ぎする時間が始まるだけだ。
不破も操もひとつだけ心残りだったのは、男吾を連れて来れそうにないことだった。姫子にすら連絡つかない相手を掴まえられるはずがなく、先日新聞でラグビーの試合に出たという記事を見たが、またすぐにどこかへ行ってしまったとのこと。
「今ごろどこにいんのかな、あいつ」
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7
ロンドン。
フリーのスポーツジャーナリストとして世界を渡り歩き、急速に実績を積み重ねている関和美は事務所にしている安アパートの一室で原稿を執筆していたが、思うように筆が進まなかった。彼女は罪の意識を感じていた。
「あ〜失敗しちゃったなぁ。あんな話、しちゃいけなかったよね・・・」
机には先日撮影した写真がある。
わずか2試合だけで、スタジアムから姿を消した新人ラガーマンの写真。続けていたらイギリスはおろか、世界中をラグビーブームにしたのではないかと思われるエキサイティングなプレイを披露したフットボールの申し子。
たまたまデビューの試合が行なわれたスタジアムでたまたま取材をしていた関は、試合前すぐになつかしい顔を見つけることができた。驚きとともに、期待感が大きかった。こいつがここで試合する・・・ラグビーのルールを知っているようには思えないけれど、きっと今までにないラグビーが見られる!ラグビーを見なれたイギリス人がそろって驚愕する姿が思い浮かべられる。たった一人の日本人が、ラグビーの歴史を今から変えてしまう!ワクワクしないわけがない。
その日、関のカメラはずっと一人だけを追った。その試合では終了寸前の十分程度しか出場しなかったのに、本当にラグビーの歴史を変えてしまった。どこに転がるかわからない楕円球のボール以上にトリッキーな動き。伸びやかで軽やかな走り。チームメイトの動きにダイナミックな流れを与え、本人もフィールドをあっちこっち駆け回ったあげく、トライを揚げた。
ノーマークだった現地のカメラマンはあっけにとられたこともあって、その日一番のスクープをうまく収めることが出来なかった。おかげで関の写真は高額で買い取ってもらえた。試合後にはコーヒーショップにすぐ入って、ジャーナリストを始めてから一番長編の原稿を一番早く書き上げた。
興奮したまま、まだ選手たちが残っていたクラブハウスに押しかけていった関は、自分でも覚えてないくらいたくさんの質問や話をした。その話の中にアメリカで聞いた「ある噂」も混じっていた。
その噂話を聞いた彼は、ごく当たり前のことのように、こう言った。
「行くしかねぇな・・・ニューヨークに!」
次の試合後、ラグビー界は巴男吾という稀代の天才選手を失った。関係者はイギリス中探し回ったが、巴男吾は大阪訛りの日本語を話せるアメリカ人留学生とともにイギリスを去った後だった。
関和美はラグビーの取材を中断する決意をした。
「私も・・・行くしかないよね!」
そしてすぐにニューヨーク行きの航空チケットを取ってロンドンを発った。
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8
刑務所の重い扉が「ギッ、ギッ」と、どこかと干渉して摩擦を起しているような音を出して開く。
背の高い台風が、頭を下げて背を丸め、しばしの間留守にしていた世界に戻ってくる。
腕時計を見る。午後三時。あと四時間後、待ち合わせは大文字学園近くにある居酒屋。台風はそちらと反対の方角へと足を進めるために踵を返す。
するとそこには、誰の迎えもなかったと思われた台風の出所の瞬間に立ち会う無数の男達。エンジンを止めている無数のバイク。真中には見覚えのある学帽を浅く被った男が、まっすぐ台風を見つめている。
「お疲れさん・・・学園台風!」
昔見たときより背の高くなった陣八の、昔と変わらぬ大声が台風の下っ腹に響いた。
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9
「我が”おおもり食堂”でやってくれればよかったのにさぁ〜!」
すっかり泥酔したヒデキが不破にからんでくる。
「ほら、ここはウチの柔道部の先輩が働いてるから、是非ここでって・・・」
「なんだよ冷てぇよな〜ゲンちゃぁ〜ん!オレの作った料理のほうが、こんな冷凍モノよりずっと美味いっての〜!」
厨房から大男が睨みつけているがヒデキはおかまいなしだ。
まだ台風の出所を祝う会まで三時間以上もある。会場に予定した居酒屋に不破と操が準備を手伝いに来ているのだが、待ちきれない連中はもうすでに来ていて各々昔話や近況を報告しあっている。ヒデキだけが早々と酔っぱらっているのは、台風の出所が嬉しいあまりだろう。
過去、台風は仕事が終わった後、そこがヒデキの家だと知らずに”おおもり食堂”に入ったのだったが、そこで出されるおふくろの味が気に入ってしょっちゅう通っていた。ヒデキも台風となお親密な仲になった。家を手伝いながら妹の世話や料理学校での勉強をこなさなければならず、ストレスの溜まっていたヒデキは、台風を兄のように慕って悩みを打ち明けたりしていたのだ。
ヒデキはいてもたってもいられず家を出て、途中の道で飲めない酒を販売機で買って一気飲みし、誰より早く到着していた。その朝早く起き、母親に教えてもらいながら作った肉じゃがを持ってきたが、妙に照れくさくて包みに包んだままにしてある。台風が美味いといって食べてくれたらいいんだけど・・・。
「ちょっと!ヒデキ!・・・あら、寝ちゃったわ」
同じく早めに到着していた玉美は、そのままヒデキを寝かせておこうと思った。
操が店内のテーブル上を拭き終え、不破の元にやってくる。
「ねぇ、そろそろ迎えに行ったほうがいいんじゃない?五時でしょ、出てくるの」
「おう、じゃあ行くか」
不破がポケットからバイクのキーを出す。店の外にある400ccのバイクのものだ。しょっちゅう二人乗りしているので操のヘルメットもある。
やたらうるさい50ccのエンジン音が近づいてくる。
不破のバイクを見つけ、50ccのスクーターがおおげさなブレーキ音を出して止まり、荒い息使いの男が居酒屋の戸を開ける。
「・・・不破さん・・・いますか」
たかしだった。
「お前、こんなとこにいないほうがいいぞ。もうすぐ台風出て来るんだからな」
「その・・・もう出てきてるんです」
「え?五時までまだ30分も時間あるじゃないの・・・」
「出所は三時だったんです!それで、兄貴が」
「・・・おい!兄貴って陣八だろ!」 不破が舌打ちをする。
「豆八・・・やっぱり動いたのね」
「やばいぞ、おい!どこに行ったんだ、台風は!?」
「大文寺の境内です!」
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10
大文字学園裏にある大文寺。学園裏からは長い石階段を利用しなければたどりつけないが、檀家の者たちは反対側にある道路を利用する。今日はその道路を道なりにバイクが並んで停められている。
「ここからでも学園が見えるなぁ・・・なつかしいだろ」
陣八は台風の目の前に堂々と立つ。陣八の仲間たちが二人をぐるっと大きな輪になって取り囲んでいる。
台風が背を丸めたままなせいか、陣八とそう身長差が感じられない。陣八も大きくなったワイ。台風もそう感じていた。
「なんも聞かねぇよ。ただお前が無傷のままじゃ気がすまねぇんだ」
「豆八よぉ〜。おヌシのほうが無傷じゃすまんのじゃないのか?」
ニヤリと陣八が笑う。台風の憎まれ口は昔のままだ。こうでなくては。
「後輩のケジメとってもらおうと思ってたけど、それだけじゃすまなくなりそーだぜ」
陣八が上着を勢いよく脱ぐ。学帽はいつものケンカと同じく、被ったままだ。
(続く)
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