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第2章
「まったく、あんたって本当、ヤバン人なんだから!」
「うるせぇな、お玉」
玉美の苦情に、男吾はぷいと横を向いた。
「うるさいじゃないよ、男吾」
と、中島ミユキも玉美に加勢した。
「図書館の中で大声出したら皆に迷惑だってことぐらい、常識でしょ!」
「そ、そんなことぐらい知ってるよ――」
男吾は、鼻を掻いてとぼけてみせた。実はそんなことも知らなかったのだが。
「だから、今は場内放送かけてもらったんじゃねぇか!だいたいお前らだってそれ聞きつけて、ここにやってき…」
「ちょっと!大きな声をださない!」
玉美とミユキが同時に声を上げ、慌てて自分の口を手で押さえた。
静かであるべき図書館カウンター前でのこの騒動は、男吾が図書館に到着して第一にやらかしたことに始まったのだ……
「おひめ――――!!どぉこだぁぁぁ〜〜〜!!!」
場内に響き渡る大声に玉美たちが飛び上がったのは、その声の大きさだけではなかった。
ざわめく館内で、顔をしかめて横に座っている玉美の肩をつついてミユキが囁いた。
「玉ちゃん、あのバカでかい声って、もしかして―」
即座に玉美が応じた。
「男吾のバカね」
二人は大急ぎで騒ぎの張本人を黙らせるべく走ったのだが、しかし時は既に遅く、男吾は事務のお姉さんと一悶着起こしている真っ最中だった。
「館内では静粛に願います!大声は皆さんの迷惑になりますからね!」
職員に怒られている男吾を発見した二人は、速やかに「他人」になってその場を立ち去った。
「人探し?それなら館内放送で呼び出してあげるから、大声で館内を回ったりしないでね。で、何て名前の子を探してるの?」
一通り、男吾に説明した後で事務のお姉さんはそう提案した。男吾は頭を掻きながらお願いすることにした。
「なるほど、オクダヒメコさんね。ちょっと待っててくれる?」
そう言って彼女は奥の部屋に入っていった。やがて姫子の名前が場内を流れ出した。
“お姫、来てるかな…”
ボンヤリと天井の模様を眺めながら、男吾は高見沢という名前を思い出していた―
「男吾くん、おめでと!」
そう言って姫子が男吾の肩を叩いたのは、あの男吾委員長当選の日のことだった。
「あたしだって、委員長はまだやったことないもん、すごいわよ!」
嬉しいのを必死で我慢していた男吾の心を代弁するように姫子ははしゃいでいた。
「たいしたこたぁねぇよ…ところで、お姫。お前は委員長の経験なしか?」
話をそらすように男吾は聞いた。「うん」と姫子が頷いた。
「あたしは副委員長まで。委員長はいつも高見沢くんだったの」
「高見沢?」
「ああ、ごめんなさい。前の学校の同級生でね−」
高見沢誠。姫子が前に在籍していた川崎小学校の同級生で成績優秀、スポーツ万能。性格は柔和にして温厚な優等生だったという。
「へぇ、お姫以上の奴っているんだな…」
少し面白くなさそうに男吾が呟き、チラリと姫子の方を見ると、彼女は何か思い出して遠くをみているようだった。その姿が、男吾の心に微かな痛みのようなものを残していた。
その痛みが今また甦りつつあった。 “前の学校じゃ嫌なことがあったみたいだけど、仲のよかった奴だって、そりゃいたよな…”
「ねぇ、お兄ちゃん」
「え」
物思いに沈む男吾を不意に現実に引き戻したのは、さっきから彼のズボンを引っ張っていた小さな力だった。
「お兄ちゃん、姫子姉ちゃん探してるの?」
「な…んだ?」
男吾が声のする下を向くと、そこには4歳くらいの小さな女の子が男吾のズボンの裾を掴んで立っている。
「お兄ちゃん、姫子姉ちゃん探してるの?」
男吾の顔を見つめたまま、また少女は繰り返した。なんだ、ガキかと男吾は息をついた。
「なんか用かい、おチビ…ン?姫子姉ちゃんって…お姫知ってんのか?」
「うん」少女はこくりとあどけなく頷く。
「髪が長くて」
「うん」
「こぉんな三ヶ月みたいな髪飾りつけて」
「うん」
また少女が頷くのを見て、思わず男吾はガッツポーズをした。
「やったぜ、大当たり!で、おチビ、お姫はどこにいるんだ?」
「おチビじゃないよ、優子だもん!」
プッとむくれる彼女を男吾は慌ててあやした。
「ごめんごめん。じゃ優子ちゃん、姫子姉ちゃんはどこにいるのか知ってる?」
「もういないよ」
「へっ?」
「いつも日曜日にはね、姫子姉ちゃん図書館に来てあたしと遊んでくれるんだ」 と優子は、はしゃぎながら言った。
「今日もね、あたしと遊んでくれて、絵本読んでくれたの。でもさっき、じゃあねって言って帰っちゃった!」
「あ、男吾くん」アナウンスから戻った職員のお姉さんが男吾に声をかけた。
「奥田さん、来たかしら?」
男吾はかぶりを振った。彼女はふうっと溜め息をついて、
「これだけ待っても来ないとすると、もう退館されたんじゃないかしら。ごめんなさいね、見つけてあげられなくて」
少し気の毒そうにそう男吾に告げると、彼女は仕事場に戻っていく。それをただ呆然と見送る男吾に、優子が自慢げに顔を紅潮させた。
「だから、あたしが言った通りでしょ!」
「なんてこった…」
「こら、男吾!」
ようやくほとぼりが冷めたと見て、玉美とミユキは男吾の前に現われた。そして冒頭の言葉となったのだ。
「なんで男吾が図書館に来てるのよ!」「雨降ってるの、そのせい?」「マンガは置いてないよっ」
「大きなお世話だよ!」
二人の勝手な言動に、男吾が一喝した。
「アナウンス聞いてただろ?ちょっとお姫を探してるんだ」
「お姫ちゃんを?あんた、ストーカーでも始めたの?」
「ちがうよ!ちょっとした用事があってさ――」
男吾は無意識にズボンのポケットを押さえた。そして逆に聞き返す。
「…それより、お前らが何でここにいるんだ?」
「あたし達は、宿題しに来たに決まってるじゃない!日曜日には結構、図書館使うのよね。ミユキやお姫ちゃん達と」
と、玉美はそこで言葉を切って男吾を探るように睨みつけた。
「…あんた、まさか宿題見せてもらいに来たんじゃないでしょうね?」
「バ、バカ言ってんじゃねえよ」
もっともそう言いながら、夜には姫子に見せてもらうつもりだった。
「とにかく、お姫はいないのかよ」
「あ、そうそう。それを伝えにカウンターまで来たのよね」と、玉美は手を打った。
「姫ちゃん、これから美術館に行くって。ついさっき、10分ぐらい前に出ていったのよ」
「10分前か?」
「そう」
玉美の答えに、男吾はちょっと思案して聞き返した。「で、お前らは?」
「?あたしたち?」
あたしたちがどうかしたの、と問う玉美に、男吾が言った。
「どうして、お姫と一緒に行かねんだ。友達だろうが!」
だって、と玉美が反論した。「あたし達、宿題しにここへ来たんだし、姫ちゃんはいろいろ別の用事があるみたいだったから―」
「一人で行かせることないだろ。友達がいのねえ奴等だな!」
そう吐き捨てて男吾は、出口に走っていった。(友達か…)――川崎小学校―高見沢誠――そんな言葉が男吾の胸をよぎった。
そんな男吾を唖然として見送りながら、玉美はポツリとこぼした。
「だって、姫ちゃん、何かついてこられるの、嫌がってたみたいだったもの…」
男吾は図書館の壁時計を見上げた。時計の針は午前11時30分をわずかに越えている。
男吾が出口で傘を捜していると、目の前に立っている小さな影に気付いた。顔を上げると、そこには優子が立っていた。
「何だ、優子ちゃんか…お姫の行く先が分かったよ。ありがとな」
「ねえ、お兄ちゃん」
優子はちょっと躊躇った後にこう言った。
「お兄ちゃん、ダンゴでしょ?」
「え?」
少女は繰り返した。「お兄ちゃん、ダンゴでしょ?」
男吾は驚いて聞き返した。
「何で俺の名前知ってんだ…ははん、それもお姫から聞いたか?」
「うん、姫子姉ちゃんよく言ってたもん」
優子は嬉しそうに報告した。
「いっつもね、あたしが言うの、お姉ちゃんは誰と一緒に来てるのって。あたしはお母さんと一緒だもん。するとね、お姉ちゃんはこう言うの、友達と一緒に来てるのって。でも…」
と、優子は言葉を切って続けた。
「本当はダンゴくんが一緒に来てくれるともっともっと楽しいんだけどなって。お兄ちゃん、ダンゴでしょ?変なお名前だからすぐ分かっちゃった。優子すごいでしょ?」
男吾は黙って優子の言葉を聞いていた。そして彼女の前にしゃがんで初めて彼女の顔をじっと見た。
「すごいな、優子ちゃんは…チビなんて言ってごめんな、ありがとう。…よし!じゃ今度の日曜日には兄ちゃんも来るからさ、待っててくれよ」
そう言って優子の髪を撫ぜた。優子は嬉しそうに微笑んだ。
「うん、約束だよ!指切りゲンマン!」
「指切った!」
優子と指切りして、男吾は再び雨の中を駆け出した。
「遅いな、お姫…」
男吾は、美術館の出口でイライラと待ち続けていた。そして受付けの中の時計を見やった。午後12時40分になっていた。リミットはあと1時間半も無い。だが、ズボンのポケットには依然葉書が入ったままだ。
「俺のケンカの予定も午後2時だかんな。早いとここいつをお姫に渡して――」
そのまますぐに決闘場に赴かなくてはならない。その時間も必要だ。
「せめてスケジュールがずれてくれればよかったんだよな」
もっとも今の男吾は、さらに大きな心配事を抱えていた。それがチクチクと男吾の胸を刺していた。男吾は溜め息をつき、呟いた。
「お姫の『連れの男の子』って誰だ?」
今から30分前。
美術館の受付嬢の前で、男吾は姫子の容姿の説明に悪戦苦闘していた。
「三ヶ月の奴、何て言ったっけな、“注射”だったっけ?そういうのを髪に付けて」
「…カチューシャ、ね」
吹き出しそうになって、慌てて彼女は謝った。
「ごめんなさい、笑ったりして…うん、多分キミの言ってる子は、奥田さんのお嬢さんね。よく来てるから覚えがあるわ」
「そう、それそれ!で、お姫ここに来てるんですか?」
「確かさっき入っていったわね。お友達みたいな男の子と一緒に」
「男の子、ですか?」
「ええ。よく一緒に来てたようね」
彼女はあっさり答えた。さすがに彼女も目の前の男の子の動揺までは見抜けなかったようだった。
「とにかくここは入り口だから、出口は直接見えないし、退館したかどうかまでは、ちょっと分からないわね」
そう彼女は残念そうに男吾に伝えた。美術館では、原則アナウンスはできないということだった。結局入館して探すしかないのだが、それには入場料が必要だった。勿論男吾にそんな持ち合わせはない。
「分かりました」と、男吾は憮然として答えた。
「俺、出口で待ってますから」
どの道、ここで姫子を見つけなければアウトなのだ。
…そう宣言してから、もうかなりの時間が経過している。外では依然雨足が衰えず、ガラス窓には絶え間なく雨垂れが流れ続けていた。
―しかし、ここで男吾が出会ったのは姫子ではなく、意外な人物だったのだ。
「男吾、何でこんなとこにいんだ?」
その声に振り返った男吾は、驚いたようにその声の持ち主の名前を口にした。
「ケンジ!」
「お前にこんなシュミがあったたぁなあ」
男吾はニヤニヤしながらケンジの肩を小突いた。だがケンジの方はむしろ誇らしげに胸を張ってみせる。
「こんなシュミってことないだろ。前にもお前に言ったじゃんかよ。俺は一流ホテルのウェイターになりたいんだって。一流のウェイターたるもの、ウツクシイもの、優れたものを見分ける眼が必要なんだってよ。そもそも芸術というものはだ、何の理屈もなく純粋に美しいと思う心を持つことであって……」
「わあった、わあった!」
際限なく続きそうなケンジの講釈を振り切って、男吾はできるだけさりげなく話題を転じた。
「それよりさ、ケンジ。ここらでお姫、見かけなかったか?」
「お姫ちゃん?」
「い、いや俺が会いたいんじゃなくて」
ケンジのオウム返しに急いで男吾は弁明した。
「どうしてもお姫に伝えなきゃいけないことがあってさ、それも俺のことじゃなくて、お姫の友達の―」
「…誰もそんなこと聞いてない」
男吾は赤くなって沈黙した。
ケンジはそんな男吾に、 「まあ、いいや。どんな用事か知らないけど」 と前置きして、こう告げた。
「お姫ちゃんなら、もう帰ったぜ」
「帰ったあ?」
男吾が素っ頓狂な声を上げた。
「何で、ケンジがそんなこと知ってるんだ」
「だってさっきまで俺、姫ちゃんと一緒だったもん」
「じゃあ、まさか」と全身から力が抜けるような思いで男吾が聞いた。「お姫の連れの男の子って…」
「多分、俺のことなんじゃない?」
――静かな美術館の館内をパッカーンという高いビンタの音が鳴り響いた。
“痛ってえなぁ、まったく。よく誤解されるんだよ、姫ちゃんの連れの男の子だって…”とケンジは痛む頬を手で押さえながら説明を始めた。
“よくお父さんと一緒に来てたみたいだな。けど、一人で来てた方のが多かったかな。自前で美術館には俺もよく来てたけど、姫ちゃんの持ってる招待券で入れてもらったことも結構あったよ。『二人用の招待券だから一人でも二人でも同じなの。もったいないからケンジくん、一緒に入ろ』ってさ。けど何かさみしそうだったよな…”
「今日もそうやって二人で入ったんだ。姫ちゃんはこれから用があるから帰るって言ったけど、俺はもう少し見ていたいからって、もう30分くらい前のことさ」
「30分前?」
男吾はそれを聞いて歯噛みした。また行き違いだ。
「何で先に帰しちゃったんだよ、無理矢理にでも引き止めてくれれば」
「ムチャクチャ言うなよ、男吾」
男吾は大きく肩を落とし、うなだれた。頼みの綱は、ここでプツリとたち切られたのだ。
そんな男吾の様子を見て、ちょっと考えてケンジは付け加えた。
「そういや…窓の向こうから姫ちゃんが商店街に向かうのを見たと思うぜ。そっち方面に行ったかもな。まだたいして時間も経ってないし、急げば見つかるかもしれない」
「…そっか、ありがとな、ケンジ。さっきは張り飛ばしたりして悪かったな」
男吾はケンジに頭を下げた。かまわねぇよ、とケンジは手を振った。
「姫ちゃんがらみじゃ、しょうがないからな」
そう言ってケンジはおどけて見せた。今はそんなケンジの心遣いが男吾には有り難かった。
「じゃな、ケンジ。先急ぐから」
男吾は勢いをつけて外に出た。その背中をケンジの声が追いかけてきた。
「だんごー!お姫ちゃん見つかるといいな。ケンカもがんばれよー!それからさー!」
「なんだー、ケンジー?!」
「―今度からはお前を招待するように、お姫ちゃんに伝えとくぜー!!」
「ありがとよ、ケンジー!」
後ろに手を振りながら、男吾は苦笑していた。
“誘ってくれてもなぁ、俺サッパリ分かんないんだよな、ゲージツって。お姫それ知ってるから、誘わないんだよな…”
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